大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)295号 判決

上告人

株式会社アデランス

右代表者代表取締役

大北春男

右訴訟代理人弁護士

山本晃夫

高井章吾

杉野翔子

藤林律夫

尾﨑達夫

被上告人

株式会社アートネイチャー

右代表者代表取締役

阿久津三郎

被上告人

株式会社アートネイチャー関西

右代表者代表取締役

五十嵐祥剛

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山本晃夫、同高井章吾、同藤林律夫の上告理由について

一 本件は、上告人を債権者、被上告人らを債務者とする裁判上の和解調書につき、上告人が条件成就による執行文の付与を受けたことに対して、被上告人らが条件成就を争って、執行文の付与された右和解調書の正本に基づく強制執行の不許を求める執行文付与に対する異議の訴えであるところ、原審は、被上告人株式会社アートネイチャー関西(以下「被上告人関西」という。) に条件成就に該当する行為があったが、本件においては上告人が条件成就を主張することは信義則に反し許されないと判断して、被上告人らの請求を認容した。

二  原審が、その前提として確定した事実関係は、以下のとおりである。

1上告人から被上告人らに対する債務名義として第一審判決添付和解条項を内容とする裁判上の和解調書が存在するが、右条項第一項には、被上告人らが櫛歯ピンを付着した部分かつらを製造販売しない旨、同第二項には、被上告人ちがこれに違反した場合には連帯して上告人に対し違約金一〇〇〇万円を支払う旨の記載がある。

2上告人の取引先関係者である永田健一は、上告人の指示の下に、通常の客を装って被上告人関西の店舗に赴き、まず、櫛歯ピンとは形状の異なるピンを付着した部分かつちの購入を申し込んで、その購入契約を締結した。永田は、その後、部分かつら本体の製作作業がかなり進んだ段階で、さらに上告人の意を受けて、右形状のピンを付着した部分かつらであれば右購入契約を解約したい、解約できないなら櫛歯ピンのようなストッパーを付けてほしい旨の申入れをした。困惑した被上告人関西の従業員は、永田の強い要求を拒み切れず、契約の変更を承諾した上、櫛歯ピンを付着した部分かつらを永田に引き渡した。

3上告人が永田に右のような行為をさせたことについては、被上告人関西の本件和解条項違反行為を確認するためのやむを得ないものであったと解すべき事情は認められない。

4上告人は、被上告人関西が永田に右かつらを販売したことは本件和解条項第一項に違反するから、同第二項の条件が成就したとして、前記の裁判上の和解調書による被上告人らに対する強制執行のため執行文の付与を申請し、東京地方裁判所の裁判所書記官から、執行文の付与を受けた。

三右事実によれば、被上告人関西が永田に櫛歯ピン付き部分かつらを販売した行為が本件和解条項第一項に違反する行為に当たるものであることは否定できないけれども、上告人は、単に本件和解条項違反行為の有無を調査ないし確認する範囲を超えて永田を介して積極的に被上告人関西を本件和解条項第一項に違反する行為をするよう誘引したものであって、これは、条件の成就によって利益を受ける当事者である上告人が故意に条件を成就させたものというべきであるから、民法一三○条の類推適用により、被上告人らは、本件和解条項第二項の条件が成就していないものとみなすことができると解するのが相当である。これと同旨をいう原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、すべて採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員「致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)

上告代理人山本晃夫、同高井章吾、同藤林律夫の上告理由

第一 原判決には、次のとおり法律の解釈適用を誤った違法があり、それが判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決は、被上告人株式会社アートネイチャー関西(以下「被上告人関西」という)が検乙第一号証の部分かつらを製造し、訴外永田に販売したことにより、本件和解条項第一項に違反したものというべきであると認定しながら、「訴外永田は、一旦控訴人関西と3Sピンの付けられた部分かつらの購入契約を結びながら、部分かつらの製作作業がかなり進んだ状況で、3Sピンを付けるのであれば解約したい、解約できないのなら被控訴人の製品である櫛歯ピンのようなストッパーを付けて欲しい旨申し入れ、堀川を困惑させ、解約をめぐる紛争を恐れる右堀川をして、やむなく櫛歯ピンを付けることを承諾させたうえ、本件櫛歯ピン付き部分かつら(検乙第一号証)の売り渡しを受けたものであり、右のような訴外永田の行為は、すべて訴外杉本を介して伝えられた被控訴人従業員の指示に基づくもの」であり、また、「被控訴人が控訴人関西から部分かつらを購入すべく訴外杉本を介して依頼した動機についても、そのような行為にして、同控訴人の本件和解条項違反行為を確認すべくやむをえない措置であったと解される事情が存在したこと、たとえば、同控訴人が櫛歯ピンを使用している確たる事実の存在ないしこれを推認させるような事実関係が存在したことは、本件にあらわれた全証拠によってもこれを認めることができない」事情のもとでは、「被控訴人において、本件和解条項第二項の条件が成就したと主張することは、契約当事者間を規律する信義誠実の原則に照らして許されないと解するべきである」として第一審判決を取り消した。

二 しかしながら、原判決の右判断は、民法第一条の解釈適用を誤った違法なものである。その理由は次のとおりである。

1 被上告人らの本件訴訟手続における真実義務違反

被上告人らは、自ら本件訴訟を提起して以来、一貫して被上告人関西には本件和解条項第一項違反行為はないと主張してきた。すなわち、被上告人関西が訴外永田に販売した部分かつらに付着していたストッパーは、3Sピンであって、本件櫛歯ピンではなく、検乙第一号証に取り付けられている本件櫛歯ピンは、3Sピンを取り付けたときの穴を利用して、上告人によって後日故意に取り付けられたものであり、上告人の主張する本件和解条項違反行為は、上告人によって虚構された架空のものであるというのである。そして、いずれも被上告人関西の従業員である証人堀川芳男および同来山幸子は、本件訴訟の過程で、被上告人らの右主張に添った証言を平然と行った。すなわち、証人堀川は、第一審および原審において、入社以来アートネイチャーのかつらを売る場合に櫛歯ピンを付けて売ったことは一切なく、被上告人関西が訴外永田に売り渡した部分かつらにも3Sピンが付けてあり、右永田に櫛歯ピンを付けたかつらを売り渡したことはない旨証言し、証人来山は、昭和六〇年春頃、被上告人関西において、かつら本体にピンを付ける係は自分一人であったが、3Sピンしか付けたことはないのみならず、検乙第一号証の本件櫛歯ピンを取り付けてある釣り糸の、糸の取り方、糸の掛け方、糸の止め方はいずれも自分のやり方ではない旨証言したうえ、同人作成の報告書(甲第七号証)には、訴外永田に売り渡したかつらに取り付けたピンは被上告人関西で使用しているクリップである旨記載しているのである。

しかしながら、原判決が検乙第一号証および検甲第一号証等を詳細に検討したうえ正当に認定したとおり、被上告人関西による本件和解条項違反行為は、厳然と存在する。

そして原判決の右認定を前提とするかぎり、証人堀川および同来山の前記各証言等がいずれも真実に反することは明らかであり、かつその真実に反するに至った理由が単なる記憶違いないしは記憶の不明瞭等に起因するものではなく、同証人らが意図的に記憶に反した証言を行ったことによるものであることもまた明瞭であると言わざるを得ない。なぜならば、原判決の認定によれば、右堀川は、訴外永田の理由のない解約申し入れに困惑した結果、それが上告人との間の和解条項違反になることを十分認識しながら例外的に右違反行為に及んだものであり、右来山もまた禁止行為であることを認識しながら検乙第一号証に例外的に櫛歯ピンを取り付けたことになるのであって、このように重要な事項についての記憶が、約一年半程度の時間の経過(昭和六〇年五月七日から堀川が第一審で証言した昭和六一年一〇月一三日および来山が甲第七号証を作成した昭和六一年一〇月三一日までは約一年半である)により不明瞭になるとは到底考えられないからである。

それでは、右堀川および来山は、二人揃って、なぜ故意に真実に反する証言をしたのであろうか。上告人としては、右両名が一様に同趣旨の真実に反する証言を行っている点から見て、本件和解条項違反行為の責任を免れようとした被上告人らが、右両名をして真実に反する証言を敢えてするよう指示したものと考えざるを得ない。すなわち、被上告人らは、会社ぐるみで違反行為の隠蔽工作を計画し、本件訴訟手続において、単に本件和解条項違反の事実を否認したばかりでなく、敢えて上告人が検乙第一号証に不当な工作を加えて架空の違反行為を虚構した旨の虚偽の主張を積極的に行い、被上告人関西の従業員である前記両証人をして右被上告人らの虚偽の主張に添った真実に反する証言をさせたものと言わざるを得ないのである。

このような被上告人らの行為は、民事訴訟における信義誠実の原則の一適用場面であるいわゆる真実義務に違反することは明瞭である。

しかるに、原判決は、前記のとおり、被上告人関西の違反行為を認定し、かつ、この認定に反する証人堀川および来山の証言は採用することは出来ないとしながら、前記の事実関係のもとでは上告人が執行文の付与を受けることは信義誠実の原則に反して許されないとして第一審判決を取消し、被上告人らを勝訴させた。このような原判決の結論は、訴訟手続において信義誠実の原則(いわゆる真実義務)に違反(しかも虚偽の主張、偽証の教唆という強度の違反)した当事者を、実体法上の信義誠実の原則を適用して救済することを意味するものであり、全く不当であると言わざるを得ない。訴訟手続において強度の信義則違反を行った当事者は、信義誠実の原則により救済される適格性を失っているのであり、裁判所が信義則を適用して保護を与える余地はないのである。

2 訴外永田による本件部分かつら購入行為

ア 「囮」による商品の入手

上告人が訴外永田といういわゆる囮を経由して検乙第一号証の部分かつら(以下本件かつらという)を入手したことは原判決認定のとおりである。しかしながら、かつらという商品の次のような特殊性からして、被上告人らの違反行為の確認のため、囮を経由して被上告人らの商品を入手する行為は許容されるものと言うべきである。

すなわち、本件かつらのような男性用かつらは、店頭で不特定多数の顧客に対して販売されるような性質のものではなく、顧客の頭髪の状況および頭の形態等に合わせて特別に製造するものであり、また、かつらの着用者は、自らがかつらを着用している事実を人に知られることを極端に嫌うため、上告人としては、店頭で被上告人らの商品を購入して違反の事実を確認することも出来ず、被上告人らの顧客を捜し出して商品を見せてもらい違反の事実を確認することも相当に困難なのである。更に、仮に被上告人らの顧客を捜し出して着用のかつらを見せてもらい違反の事実を確認しても、これら顧客は前記のとおりかつら着用の事実を人に知られることを極端に嫌うため、訴訟手続に証人として出廷することは到底期待できない。現に、訴外永田の本件かつら購入に先立ち、偶々アートネイチャーから上告人方へ移ってきた顧客につき、アートネイチャー製のかつらを調査したところ、関西地区の顧客のかつらから櫛歯ピンを取り付けたものが数件見付かったため、上告人から、これらを着用していた顧客に対し、被上告人らの違反行為の立証のため証人に立ってほしい旨の依頼を試みたが、すべて拒否された事実があり、このような経緯を経て、上告人としてもやむを得ず、囮による本件かつらの入手を企図するに至ったものである。

イ 訴外永田の購入行為

原判決は、訴外永田が、①一旦、3Sピンを取り付けた部分かつらの購入契約を結んでおきながら、法律上何らの理由もないのに解約を申し入れ、②部分かつら本体の製作作業がかなり進んだ段階で、解約できない場合は上告人の櫛歯ピンのようなストッパーを付けて欲しい旨申し入れ、③訴外堀川の困惑に乗じて櫛歯ピンを付けることに契約を変更させたことが本件和解条項違反行為を積極的に誘発したものと認められるとして、上告人の信義則違反の根拠としている。しかしながら、右は、本件の背景事実に目をつぶった議論である。

すなわち、上告人においては、従前より来店販売、訪問販売を問わず、契約後七日間(現在は八日間)は顧客からの無条件解約(いわゆるクーリングオフ)を認めており、訴外杉本らは競争会社である被上告人らにおいても当然同様の取り扱いを認めているものと信じていた。そこで、訴外永田は、右期間内の昭和六〇年三月一三日(すなわち契約日である三月八日の五日後)に電話で解約の申し入れをしたのであり、その際、被上告人関西において右解約を営業政策上渋っているとは感じたものの、解約の申し入れを受けた以上、被上告人関西ではかつらの製造を当然一時中止したうえ、訴外永田の来店を待って再度話し合いをし、右永田の了解を取って製作に入るものと考えていたのである。その結果、その後同月二八日に訴外永田が被上告人関西の店頭において解約の申し入れを行った時点においても、訴外杉本、訴外永田らには、解約申し入れが法律上理由がないとの認識も、本件かつらの製作作業がかなり進んでいるとの認識も全くなく、また訴外堀川からかつらの製作が既に相当程度進んでいるとの説明もなかった。従って、客観的に見れば、原判決の認定したとおり法律上は理由のない解約申し入れであり、その時点で本件かつらの製作が相当程度進行していたとしても、訴外杉本および訴外永田らには、右解約申し入れ時点において、解約が困難であるとの認識も、訴外堀川がかつらの注文を一つ失うということ以上に困惑を覚えるとの認識もなかったものである。

3 被上告人関西の違反行為

原判決は、前記のとおり被上告人関西の本件和解条項違反行為は、訴外永田の強引な解約申し入れにより誘発されたものであるとして、上告人の和解条件成就の主張を、信義誠実の原則に照らして許されないと判断している。しかしながら、右判断は、被上告人関西の従業員である訴外堀川が、積極的に違反行為を行った(作為)ことを無視し、信義誠実の原則の適用を誤ったものと言わざるを得ない。

すなわち、講学上「不誠実な行為により取得した権利ないし地位の主張」が信義誠実の原則により制限されることはあり得る(新版注釈民法第一巻九七頁以下)が、この場合信義誠実の原則によって保護される者は、善意の第三者(最高裁判決昭和四四年七月四日・民集二三巻八号一三四七頁)、対抗力具備を故意に妨げられた第三者(最高裁判決昭和三三年一〇月一七日・判例時報一六四号一九頁)、再三登記請求をしたにもかかわらずこれを拒否され登記の欠缺を主張された第三者(最高裁判決昭和四五年三月二六日・判例時報五九一号五七頁)、相手方の妨害により買戻権を行使しえなかった者(最高裁判決昭和四五年四月二一日・判例時報五九四号六二頁)、売主の許可申請手続延引行為により農地の所有権取得を妨害された買主(最高裁判決昭和四六年一一月九日・判例時報六六一号四一頁)、賃貸人の妨害により更新請求権の発生を妨げられた土地賃借人(最高裁判決昭和五二年三月一五日・判例時報八五二号六〇頁)等保護に値する者であり、本件のように不作為義務に違反し、積極的に違反行為を侵した者が信義誠実の原則によって保護された先例は存在しないと思われる。

特に本件において違反行為を行った訴外堀川は、被上告人関西の支店長という重要な地位にある者であり、しかも同人は、上告人と被上告人らの間の特許権をめぐる紛争が裁判上の和解により解決し、同和解により櫛歯ピンの使用が禁止されたことを熟知していたものであることは、その証言によっても明らかである。

このように被上告人関西において責任ある地位にある者が、不作為義務の存在を熟知しながら、敢えて違反行為に及んだ場合、例えそれが原判決の認定したように上告人の行為に誘発されたものであったとしても、信義誠実の原則によって保護される余地はないものと言わねばならない。

4 上告人が囮による調査を企図した経緯について

原判決は、上告人が本件囮による調査を依頼した動機につき、このような調査行為が、「本件和解条項違反行為を確認すべくやむを得ない措置であったと解される事情が存在したこと、たとえば、同控訴人が櫛歯ピンを使用している確たる事実の存在ないしこれを推認させるような事実関係が存在したことは、本件にあらわれた全証拠によってもこれを認めることは出来ない」と認定しているが、実際には、本件和解成立後も前述のとおりアートネイチャーから上告人方に移ってきた顧客が着用していたアートネイチャー製のかつらを上告人において調査したところ、関西地区において櫛歯ピンを取り付けたものが数件発見されており、また、上告人の同業者からも、被上告人関西が本件和解条項に違反して櫛歯ピンを使用しているとの情報が上告人方に寄せられていたのである。そこで当時上告人の営業会議でもこの問題が報告され、やむを得ず本件囮による調査が実行されるに至ったものである。本件囮による調査が、上告人の本社のある東京地区においてではなく、被上告人関西において実行されたのも、このような情報があったからなのである。

なお、昭和六三年一一月には上告人製造の櫛歯ピンの韓国製模造品(上告人の特許番号等が刻印されている)が関西地区において一万個以上発見・押収されており、本件かつらに取り付けられた櫛歯ピンもこの模造品である疑いが強い(被上告人らが櫛歯ピンの入手経路を明らかにしないことも、同ピンがこの模造品であることを推測させる)。

5 以上1ないし4のいずれの点からしても、信義誠実の原則を適用して上告人の主張を排斥した原判決の判断は、民法第一条の適用を誤ったものであり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二 原判決には、最高裁判所の判例と相反する判断をした違法がある。

一 最高裁判所の判例(昭和六二年七月一六日第一小法廷判決・判例時報一二六〇号一〇頁)は、「確定判決、裁判上の和解調書等の債務名義に基づく強制執行が権利の濫用と認められるためには、当該債務名義の性質、右債務名義により執行し得るものとして確定された権利の性質・内容・右債務名義成立の経緯及び債務名義成立後強制執行に至るまでの事情、強制執行が当事者に及ぼす影響等諸般の事情を総合して、債権者の強制執行が著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なものと認められる場合であることを要するものと解するのが相当である。」と判示している。

二 しかるに原判決は、上告人が執行文の付与を受けることが信義誠実の原則に反するとの判断をするにあたり、単に訴外永田と被上告人関西との間の本件かつら売買契約成立の過程を考慮したのみで、前記「第一」で上告人が指摘した諸点についての判断を誤ったほか、本件和解成立の経緯(そもそも本件紛争の発端が被上告人らの特許権侵害行為にあること)、本件和解成立後本件囮調査に至るまでの事情その他前記最高裁判所判例の指摘する諸般の事情の大部分を全く考慮していない。その結果本件紛争全体を総合的に考察することができず、当事者のうちどちらが本質的に信義誠実の原則に反しているかについての判断を誤り、誤った結論に到達したものである。

従って、この点においても原判決は破棄を免れないものと言うべきである。

第三 原判決には、理由不備・理由齟齬ないし審理不尽の違法がある。

一 原判決は、被上告人関西の支店長堀川が、「訴外永田から櫛歯ピンを付けることを解約申し入れの撤回と引換に求められるや、別室から櫛歯ピン数個を持ってきて訴外永田に見せたのであるから、その時たまたま控訴人関西の店舗に櫛歯ピンがあったというよりは、控訴人関西の店舗には櫛歯ピンがいくばくか用意されていたものではないかと疑われる」旨認定し、被上告人関西において櫛歯ピンを恒常的に用意・使用していた可能性を示唆しながら、他方前記のとおり「同控訴人が櫛歯ピンを使用している確たる事実の存在ないしはこれを推認させるような事実関係が存在したことは、本件にあらわれた全証拠によってもこれを認めることは出来ない」と認定している。しかしながら、右両認定は、明瞭に矛盾しており、原判決には理由齟齬ないし理由不備の違法が存するものと言わざるを得ない。

二 確かに、原審においては、上告人の原審代理人が被上告人らの信義誠実の原則に反するという再抗弁をそれほど重視していなかったこともあってか、本件囮による調査に至る経過・動機についての上告人の主張立証が必ずしも十分でなかったことは、上告人としても認めざるを得ない。しかしながら、本件記録を精査すれば、「アートネイチャーさんのほうで、アデランスさんが使用しているものが使われているみたいなんで……アートネイチャーのほうに行って購入してほしいということです」等という訴外永田の証言、前記被上告人関西の店舗に櫛歯ピンが用意されていた事実等により、上告人が理由もなく本件囮による調査を実行したものでないことは十分推認し得るのであり、またこの点の主張立証が不十分であれば、信義誠実の原則の適用の有無につき重要な事実であるのであるから、原審は更に主張立証を尽くさせるべきであった。

しかるに、原審は、一旦口頭弁論を終結した後再開した第一〇回口頭弁論期日において、主張を整理した際、強引に上告人の原審代理人をして「訴外永田健一に売却した本件の行為以外に、本件和解条項第一項に違反する行為があったのではない」旨陳述させ、この陳述を拠り所として前記「同控訴人が櫛歯ピンを使用している確たる事実の存在ないしはこれを推認させるような事実関係が存在したことは、本件にあらわれた全証拠によってもこれを認めることは出来ない」旨の認定を行っているのである。

しかしながら、原審における上告人代理人の前記陳述の趣旨は「本件訴訟において上告人が主張する違反行為は、訴外永田に売却した本件行為のみである」というに留まり、それ以上に「被上告人らが本件和解成立後本件行為一件以外に一切違反行為をしていない」などということを認めるものでないことは、本件弁論の全趣旨からも明瞭であろう。しかるに原審が、前記認定の根拠として「被上告人らが本件和解成立後本件行為一件以外に一切違反行為をしていない」との趣旨で前記陳述を判決理由中に援用していることは、弁論終結直前になって強引に原審代理人をして前記陳述をさせたうえ、その趣旨を故意に曲解することにより、自らの審理の不尽を無理に糊塗しようとしたものと考えざるを得ないのである。

原判決には、以上のとおり判決の結論に影響を及ぼす審理不尽の違法があるというべきであり、この点においても破棄を免れない。

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